ハード・ゴアじゃないニート生活
僕が仕事を辞め、無職になってから半年がたった。
午前11時過ぎ。目が覚めると、ベッドの中で一月の寒さに身を震わす。そのままベッドの中で猫のように縮こまりながら、寝ぼけ眼でスマホを開きTwitterを眺める。ニート生活をおくる僕の一日の始めに行う日課だ。
今日も色々なモノがTLに流れてくる。昨日とは違うニュース、変化するトレンド。芸能人のスキャンダルに、ミュージシャンの新曲。アニメにドラマ。政治に経済。教訓に批評。犬や猫の動画。誰かが死んだり、殺したり。仕事にいきたくない人たちの悲鳴。神絵師たちが作り出すエロ画像たち……。大きなおっぱい。時々流れてくるちんこ。
そんな元気よく溢れる情報の濁流を眺めながら、僕は「ああ、世間ではとっくの昔に一日が始まっているんだな」と実感する。自分の知覚する時間の流れと、世間に流れる時間の流れのギャップに毎日ちょっと戸惑うのだ。家に引きこもっている僕は、外の時間とはまるで異なる時間の流れに身をゆだねている。みんなが起きる時間には起きていなくて、みんなが寝る時間には起きている。ご飯を食べる時間も決まってない。適当な時間になんとなく起きて、なんとなく食べて、なんとなく寝る。暇な時間はインターネットをしたり、小説を書いたりしてだらだら過ごす。そんな生活をしていると外の時間の流れに鈍感になって、一日を一つの時間の塊としてとらえることが難しくなる。朝昼夜は連続性を失い、曜日感覚はどろどろに崩れていく。
そんな自分の生活の現状に不安はないのかと言えば、正直ちょっと不安だ。一日に何度も、ふとした時に世間に取り残されていくことへの寂しさを感じる。
だけどそんな生活を送る僕でも、もし「この生活を選んだことに対して後悔しているか」と、誰かに問われたなら「それほど後悔してないな」と答えると思う。それは一年前、まだ大学生だった僕には到底言えなかった答えだ。一年前の僕は、みんなと同じ様に就活し、就職し、スーツを来て仕事にいくことに何の疑問を持たなかった。その行為を苦痛だと思うべきではないと思っていたし、それが当たり前なのだと感じていた。社会のいたるところにある非効率で意味不明な慣習にも目を瞑り、働くとはそういうものなんだと認め、諦めていた。
そう諦めていたはずだったんだけど。
一年後の僕はまだ諦め切れずにもがいている。なんだか不思議だ。
なんで僕がこんな生活を送るようになったのか?
その理由は次回書こうと思う。
それでは、また