近況とこれから -ニート祭りにいったり、共生舎にいったり。あと、シェアハウスー
ひさしぶりにブログを書いている。
気づけば前回書いた記事からかなり時間がたってしまった。その理由は、僕の「充電」が切れてしまったことによる。
これまでの記事で、僕がなんでニートになったのかの経緯を振り返ってきた。時にその過程で、自分にとって嫌なことや忘れたい過去を掘り起こすことが必要だった。
その行為が思ってた以上に自分に大きな負荷をかけていたようで、前回の記事を書いたところで激しい精神的な疲労を感じて、充電が切れたかのように何も書けなくなってしまった。これはまずいと思い、しばらくブログを更新することを止めることにしたのだ。
実を言うと、今もまだ前回の記事の続きを書く気にはなれていない。あの頃のことを書くには僕にはもう少し時間を必要なのかもしれないと思う。まだ自分の中で整理がつけられない思い出を文章にするのはとても難しかった。
いつかあの頃の思い出に踏ん切りがついたときに、僕は続きを書こうと思う。
だから今日書くのは別のことだ。それはここ1、2か月の間の近況。あまりにいろいろなことがあったから、ざっくりと書いていこうと思う。
2018年2月、僕はいろいろな場所へ旅行した。
静岡、東京、長野、和歌山、大阪、徳島、高知、愛媛、香川……。2月の半分以上を旅行に費やした。がむしゃらに、めちゃくちゃにあちこちを歩き回った。居場所のない家から逃げるために、そして僕みたいな社会に適応できない人間がどうやってこれから生きていくか、その方法を探すために、いろんな場所にいって、いろんな人に会いに行った。
東京では「ニート祭り2018」に参加し、間もなく〝山奥ニート〟で有名な「共生舎」へ訪れるために和歌山へ行った。「共生舎」がどういう場所なのかは葉梨はじめさんのブログや、Twitter( )を見ていただけるとよくわかる。
5日間の短い滞在だったけど、「共生舎」での生活は、引きこもりで、ニートの自分がひさしぶりに一人の「人間」扱いされた、心地よい時間だった。今まで張りつめていた何かがほぐれていく感じがわかった。こういう場所がもっとたくさん増えればいいのにと強く思った。
そして今、愛知に帰ってきた僕はシェアハウスをつくる計画を進めている。
シェアハウスというとなんかかっこいい響きがあるけど、ぼくが考えているのはもっと質素なイメージだ。僕はそこにいる人が「避難所」として使ってくれるシェアハウスを僕は作ってみたいと思っている。
最近僕の身の周りでは心身が疲れて仕事を辞める友人が多くなった。
今まで元気だったのに、社会にでた途端、大きな生きづらさを抱えたり、居場所がなくしてしまった人たちを現れ始めた。僕も同じ経験をしたからこそ、その境遇にシンパシーを感じた。
疲れてしまった人には十分な休みをとることが必要だ。でも、それを家族や周囲の人々はなかなか許してくれない。そういう理解が、まだこの社会には浸透していない。
まだその人はボロボロなのにすぐに働け、動けと言葉をかける。たとえそれが思いやりからきた言葉でも、本人にとっては悪夢のようなものなのに。
何か居場所を作れないかと思った。
僕を含め彼らにとっての、心を落ち着ける避難場所が必要だと思ったのだ。
それがシェアハウスを始めようとしたきっかけだ。
ゆっくり休んで、また新しいことをはじめられる力を蓄えれる場所として僕はシェアハウスをつくってみたい。
うまくいくかどうかわからないけど、今の僕には幸運にも何かを失敗するには十分な時間があって、色々と助けてくれる友達も現れてくれた。だから、たぶんなんとかなるじゃないかなあ……と思うことにしてる。それにまあ失敗してもその時はまた別のことを試そう。こうしてなんだかすごいユルい感じでシェアハウス計画は始動した。
このユルさは、いろんな場所にいって、いろんな人に会ったから生まれた感覚なんだと思う。よく探してみればニートでも、ひきこもりでも、精神疾患持ちでも、なんとか息継ぎできる片隅が世界のそこら中にあるのだと知ったことは大きな収穫だった。その分、ほんの少しだけ心に余裕が持てた。
まあたぶんこれからの生活も、今までとあまり変わらず生きづらさにひーひー苦しみながら泣きべそをかいて続いていくんだろうなと思うけど。
それで心がいっぱいいっぱいになったら、そのときはまた旅に出よう