はーど・ごあな日々

2017年の夏、体調を崩して倒れる。その後仕事を辞めてニートに。小説を書いたり、動画を作りながら日々の生活を綴る

4ヶ月の間に2回仕事を辞めた話

 

 

   滋賀県某所、2017年の夏。僕はゴミ袋とホコリにまみれた八畳ワンルームの部屋で死んだように寝転がっていた。

 

  この頃の僕は不眠症気味で目は赤く充血し、目元にはクマが浮かんでいた。髭をぼうぼうに生やし、風呂は五日に一度入るか入らないか。そのせいで体から少しすっぱい臭いを放っていた。

  お金に余裕はなく、近所にあるドンキーホーテで買い貯めた賞味期限切れの半半額弁当(半額弁当がさらに半額になった弁当)と40円の食パンをかじってなんとか生き延びる毎日。まともなモノを食べてなかったせいか毎日下痢を起こしトイレに篭ってばかりだった。

  顔に生気はなく、廃人のようにぼんやりと一日を潰していく日々が続いた。幻覚にも悩まされ、何が現実なのか妄想なのかもわからなくなるほど僕は精神的に追い詰められていた。

 

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滋賀県で撮った写真。この夜、家で死んだように寝ていた僕は突然の爆音で目が覚めた。ついに第三次世界大戦が始まったのかと慌てたがなんのことはない。外を見てみればたくさんの花火が上がっていた。その日は琵琶湖花火大会が行われた日だった

 

 

パニック障害」。

  医者からそう診断された僕は、この頃勤めていた映像制作会社を自主退職した。事実上は「クビ」みたいなものだったけど。毎朝気分が悪くなり吐いては倒れてを繰り返し、映像の編集作業をしようにも手が震えてタイピングもままならない。そんな僕を雇い続けるメリットなんて会社側には全くなかった。そんなわけで僕は泣く泣く就職してまだ一ヶ月しかたってないその会社から出ていくことになったのだ。

 

  実はその二ヶ月前には、僕はまた別の会社を退職していた。同年四月に愛知で就職したその会社は、典型的なブラック企業だった。就職説明会ではワークライフバランスを唄い、「残業代は惜しまずしっかり出す」と豪語していたその会社も、入ってみれば化けの皮がすぐに剥がれた。サビ残は毎日欠かさず当然のように行われ、人手がない現場では常に膨大な仕事に追われ社員は疲弊し、教育もままならない。毎朝四時半に起きて会社に向かい、夜遅くに帰宅する。週に6勤は当たり前。みんなイライラしていて、社内では職員同士の陰口やいじめが絶えない。他にもここでは書きたくないほど酷いことがたくさんあった。同期社員は入社して早々にリタイアしていく。僕も通勤中になぜか涙がでてきたり、胸の動悸や発汗がとまらなくなったり、急に体に力が入らなくなって道に立ちすくむようになったところで退職を決意した。「このままだと壊れる」とそう思ったのだ。

 

 上司に退職届を出すと、「社会をなめるな」「この会社を辞めたあなたが、他の会社でも通用すると思っているのか?」とか色んなことを言われ罵られた。そんな言葉を聞いても僕はただひたすら耐えた。普段なら何か一つ言い返すこともできたかもしれない。だって考えてみればそもそも労働基準法もまともに守ってない会社に、そんな偉そうなことを言われる筋合いはなかったのだから。けどその時の僕は酷く疲れていて、何かを言い返す気力すらなかったのだ。結局一時間近く説教をされても退職をやめる意思をみせない僕に上司の方が折れた。その後はつつがなく退職手続きが行われ数日後、僕は無職になった。

 

 大変だったのはその後だ。入社してわずか一ヶ月で仕事を辞めた僕に両親は怒り狂った。

 

「育て方を間違えた」「なんでこんな子に育ったの」「何のために大学にいれさせてやったとおもっているんだ」「おまえをここまで育てるのにいくらかかったとおもってるんだ」「おまえに食わせてきた飯は誰の金で買っていると思う」「自分たちが働く姿をみて何も学ばなかったのか」「仕事はそもそもつらいものなんだよ」「仕事が楽しいものだとおもったか」「我慢しろよ」「甘いんだよ」「心が弱いやつだ」「バカ野郎」「謝れ」「わたしたちに謝れ」「仕事を辞めたことを謝れ」

 

 僕は心の底で、「両親は自分の味方になってくれる」という甘い期待を持っていたのだと思う。両親は息子が勤めていた会社はブラック企業で、すぐに辞めるべき場所であったことを理解し、受け入れてくれると思っていた。だがそれは違った。僕の両親はそういう人ではなかった。僕は自分の両親のことを何もわかっていなかったし、同時に両親も僕のことを何もわかっていなかった。そのこと気付いた僕はこの時、強い衝撃を受けたのだ。

 

 彼らの言い分には何かおかしいことがあるとわかっていた。たしかにあなた達は僕を育ててくれた。たくさんのお金をかけ、僕に勉強できる環境を与えてくれた。それはすごく感謝している。

 

 でも、僕の人生はあなた達を満足させるためにあるんじゃない。僕の人生はあなた達のモノなんかじゃないんだから。僕はあなた達が満足するために仕事をしていたんじゃないんだ。だから僕が仕事を変えようが辞めようがまったく関係ないじゃないか。

 

 だけどあの日の僕は、彼らの言うことに反論する気力はなかった。それほどに僕の心はこの一ヶ月の間に干からびていた。僕はただただ、浴びせられる罵声を受け入れて静かに聞くしかなかった。悲しくて、虚しくて、涙が溢れて止まらなかった。

 

  最後に僕は父に土下座した。「仕事をやめてごめんなさい」と。子供のように泣きじゃくりながら。頭を床に擦り付けて。

 父は土下座する僕をみて何も言わなかった。

 そして僕は完全に心を病んでしまった。

  

 

つづく