ボロボロ再就職記
前回の記事「4ヶ月の間に2回仕事を辞めた」のつづきです。
「しばらく休養をとってください」
そう言って医者は僕に精神安定剤を処方してくれた。
「転職活動をしたいでしょうが、今のあなたはとてもそんなことをできる状態じゃないと思います。まずはしっかり休んで薬を飲み、療養に専念してください。決して焦らず、ゆっくり治していきましょう」
お医者さんの言葉はありがたかったけど、僕にはそんな悠長なことをしている余裕はなかった。転職先を決めなくては、すぐにでも実家から追い出されそうな状況なのだから。残された道は一つしかない。僕は医者の忠告には従わず、ボロボロの精神状態のまま転職活動を行なった。
心身共にボロボロではあったが、「あとには引けない」という極限の精神状態に置かれると人は思いもよらないほど力を発揮するようで、転職先はすぐに決まった。あれだけ就職活動に苦労した学生時代が嘘だったかのようにスムーズに仕事が見つかったのだ。それは僕が学生時代からの趣味で身につけた動画編集技術を活かせる仕事。映像制作会社での編集業務だった。
仕事先は滋賀県。生まれてこのかた愛知でずっと過ごしてきた僕にとっては、それは大きな環境変化だった。不安はあったけど、自分が好きだった動画編集の仕事に携われることへの期待と、今ではもう息を吸うことも苦しくなるほど自分を追い詰める場所となってしまった実家から出ていけるという安堵感が勝った。僕は両親から20万円を借り、そのお金で滋賀へ引っ越した。
ここまで来ればもう両親に罵られることもない。映像編集の仕事も前職と比べものにならないほど楽で、面白かった。残念ながらここでもサビ残はあったけど、その時間も前職と比べればかなり少ない。勤務時間も減り、家で休む時間も十分取れるようになった。ここでならなんとかなるかもしれない。この時は僕もそう思っていた。
だけどその変化は少しずつ現れ始めた。医者の忠告を守らず、無理に体を動かして転職活動を行なったツケが回ってきたのだ。さらに慣れない新生活と仕事の準備に追われて僕の心身はギリギリの所まで酷使され悲鳴をあげていた。その最悪のタイミングで医者からもらっていた薬がなくなった。
そして張り詰めていた糸がプツリと切れるように僕は倒れた。
体は泥にはまったかのように重たくなり、思うように動かない。自分の思考が上手くまとまらず、何事にも集中できない。考えれば考えるほど、悪い方向へネガティブに思考してしまう。やがて僕は言い様がないほど激しい恐怖感と焦燥に襲われるようになった。
「明日、仕事で失敗したらどうしよう」「上司に嫌われるかもしれない」「早く仕事をおぼえなきゃ」「もっと周りに気を使える社員にならなきゃ」「仕事中に交通事故を起こしてしまうかもしれない」「クビになるかもしれない」「これから僕はここで上手く生活できるのだろうか」「僕はこのまま一人で生きるんだろうか」「僕はやくたたずかもしれない」「僕に生きる意味なんてあるんだろうか」「なんで生きている」「つらい」「しんどい」「寂しい」「苦しい」「死んでしまうかもしれない」「死んでしまうかもしれない」「死んでしまうかもしれない」
そんな被害妄想の嵐に襲われた僕は何度も吐いた。汗が止まらず、動悸は激しくなり、息を吸うことすら苦しい。そんな日がいつまでも続いた。なんとか這うように病院へ行き診断を受けると医者から「重度のパニック障害だ」と言われた。「すぐに療養をとってください」「まず仕事は休んだ方がいいです」「診断症を書きましょうか?これを会社に出して休職してください」
医者に言われた療養期間は二ヶ月。会社に行き診断書を社長に出すと、社長は厳しい顔で言った。
「今ここで決めて。君、この仕事続けられる自信ある?」
長い沈黙の後、僕は小さな声で「ないです」と答えた。
これが僕の人生二回目の退職になった。
つづく